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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)1955号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し別紙目録(一)(二)記載の建物を明渡し、かつ昭和三四年五月三日から右各建物明渡済に至るまで一か月金五、〇〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」(明渡の目的建物の表示は当審において右のとおり訂正された)との判決を求め、被控訴代理人は「控訴棄却」の判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の主張は次のとおりである。

(控訴人の主張)

一、控訴人は別紙目録(一)(二)記載の建物を、昭和三四年五月二日所有者塩沢正十郎から代物弁済として譲り受けて所有権を取得し、同日その所有権移転登記を経由した。当時この建物は木造ルーヒング葺平家建居宅一棟建坪一二坪五合であつた。

二、被控訴人は右建物を昭和二十七、八年頃から権原なく占有使用し、右建物を別紙目録(一)記載の建坪一五坪に増、改築した上、同目録(二)記載の建物部分を増築するに至つた。

三、よつて控訴人は被控訴人に対し別紙目録(一)(二)記載の建物の所有権にもとづき右建物の明渡しと昭和三四年五月三日(控訴人の所有権取得の日の翌日)から右建物明渡済に至るまで右建物の賃料に相当する一か月金五、〇〇〇円の割合による損害金の支払を求める。

四、(被控訴人の主張に対し、)

1、訴外塩沢正十郎の父塩沢公之が昭和二五年七月三一日死亡したこと、訴外塩沢通有が同二六年一〇月二四日右正十郎の後見人に就職したことは認めるが、その余の事実は否認する。

2、被控訴人が昭和二五年一二月一六日訴外塩沢通有との間で増改築前の別紙目録(一)(二)記載の建物の売買契約を締結したとしても右建物の所有者は訴外正十郎であるから、右売買契約によつて被控訴人に右建物の所有権が移転することはない。すなわち正十郎は当時未成年であつたが、塩沢通有は未だ正十郎の後見人に選任されておらず、無権代理人にすぎない。

3、かりに塩沢通有が後見人に選任される以前においても事実上正十郎の後見をし同人のため同人にかわつて右売買契約を締結したものであり、それが未成年者正十郎に効力を及ぼすものとしても、当時通有は自己の製材事業の不振の為作つた借財を、右建物の売却代金をもつて弁済する目的でした売買契約であり、この売買は事実上後見の立場にある通有と未成年者正十郎との利益が相反する行為であつて、正十郎のために効力を生じない。

4、しかも通有は被控訴人との売買契約後、正十郎の後見人に選任されたにも拘らず、改めて売買契約をしたり、追認をしたりしたことはないから右売買が正十郎のためその効力を生じないことに変りはない。

(被控訴人の主張)

一、控訴人の右主張事実一、は否認する。控訴人が正十郎から譲り受けた建物は別紙目録(一)(二)記載の建物ではなく、甲府市寿町三三番、家屋番号同町三三番の三木造ルーヒング葺平家建居宅一棟建坪一二坪五合の建物であつて、この建物は、昭和三五年四月四日滅失した。

なお、別紙目録(一)(二)記載の建物は、もと甲府市寿町三三番家屋番号同町三三番木造スレート葺平家一棟建坪一五坪(塩沢正十郎所有)であつて、被控訴人は昭和二五年一二月頃所有者正十郎の事実上の後見人である塩沢通有との間で右建物をその敷地ともに代金二五万円で買受ける旨の売買契約をし、その所有権を取得して占有し、昭和三〇年頃階下に物置、押入、便所計四坪五合、屋根裏を利用して三坪五合の中二階を増改築し、屋根を全部亜鉛メツキ鋼板葺に改造し、この増改築部分だけについて被控訴人名義で所有権保存登記をしたものである。

そして、右建物の所有者塩沢正十郎は父公之が昭和二五年七月三一日死亡したので後見が開始したのであるが、通有は正十郎の事実上の後見人として正十郎のため財産整理に当り、そのため被控訴人主張の右売買契約を締結したものであるところ、昭和二六年一二月二四日(被控訴代理人準備書面中二六年一〇月二四日とあるは二六年一二月二四日の誤記と認められる)後見人に就職したので、右契約において通有が無権代理人であつたとしても右無権代理人たる地位と就職した後見人通有の地位とは混同することになつたから、右被控訴人通有間の売買契約は未成年本人正十郎のため効力を有するに至つた。

二、被控訴人が別紙目録(一)、(二)記載の建物を控訴人主張の日以前から占有使用していることは認める。

三、右建物の賃料相当額は否認する。被控訴人が右建物明渡および損害金支払義務あることは争う。

証拠関係(省略)

理由

原審および当審(各一、二回)証人塩沢正十郎の証言の一部原審および当審における控訴会社代表者戸辺禮吉本人尋問の結果、原審および当審における検証の結果成立に争のない乙第一ないし第三号証、同第六号証、官署作成部分につき成立に争なく、その余の部分も原審証人塩沢正十郎の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第一、二号証を綜合すると、控訴人は昭和三四年二月二日塩沢正十郎に対し金二〇万円を返済期同年三月頃と定めて貸渡し、同時に右金員を期日に返済しないときは塩沢正十郎において同人所有の別紙目録(一)(二)記載の建物(その現況一個の建物であることは後に判示するとおりである。)を右債務の代物弁済とする旨の予約をなしたが、正十郎は期日に右金員を弁済せず、同年四月末頃控訴人において右予約完結権を行使し、右建物の所有権を取得する旨の意思を表示したことを認めることができる。

もつとも右甲第一、二号証によれば、右代物弁済予約の目的物は甲府市寿町三三番、家屋番号同町三三番の三 一、木造ルーヒング葺平家建居宅一棟建坪一二坪五合と明記されていて、別紙目録(一)、(二)記載の建物と相違し、原審における検証の結果原審証人萩原義晶の証言および成立に争のない乙第八号証中甲府市長の証明部分とによると、右家屋番号同町第三三番の三の建物は別紙目録(一)、(二)記載の建物の北側に曽て存在し、昭和三五年四月四日滅失したものであることが認められる。然しながら前掲証人塩沢正十郎の各証言と控訴会社代表者戸辺禮吉本人尋問の各結果とを見れば、控訴人と正十郎とが代物弁済予約の目的物件として合意したのは南側寿町通りに面した豆腐屋すなわち被控訴人の占有する別紙目録(一)、(二)記載の建物であつたが契約書の作成、登記に当つて、その目的物件と登記簿の記載との関係を十分調査しなかつた為、右目的物件の北側に存在した前記家屋番号同町三三番の三の建物の登記をもつて右目的物件の登記なりと誤信(この誤信は本訴提起後まで継続)していた結果契約書(甲第一号証)の目的物件の表示を誤り、(目的物件に錯誤があつたわけではない。)登記申請書(甲第二号証)にもこれをあやまつて表示したものと推認することができる。それ故、右甲第一、二号証および前掲証人塩沢正十郎の証言中それぞれ本件代物弁済として提供した建物の家屋番号が同町三三番の三である旨の記載もしくは供述があつても、それは前段認定を左右するに足りるものではない。

被控訴人は増、改築前の別紙目録(一)、(二)記載の建物(建坪一五坪位)は、もと塩沢正十郎の所有であつたが、昭和二五年一二月頃正十郎の事実上の後見人塩沢通有からその敷地とともに買受けたと主張するところ、当審証人塩沢通有原審証人富田嘉和、同石井安一の各証言、当審および原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人は昭和二五年一二月頃塩沢正十郎の後見人と称する塩沢通有から右建物を代金二五万円、うち金二〇万円は即時支払い残金五万円は所有権移転登記と同時に支払う約で買い受けることとし、その旨の売買契約を締結したことを認めることができる。しかし、成立に争のない乙第九号証(戸籍抄本)前掲塩沢正十郎の各証言によれば、右売買契約当時は正十郎は未成年(一七年一〇か月)であつて昭和二五年七月三一日父公之の死亡により親権を行う者なく後見開始したが、塩沢通有が正十郎の後見人に就職したのは同二六年一二月二四日(同二七年二月一二日届出)のことであり、(公之の死亡年月日、通有の後見人就職年月日は当事者間に争がない。)したがつて昭和二五年一二月の右売買契約時には塩沢通有は未だ正十郎を代理して右契約を締結する権限がなかつたものと認められる。ところで当審証人塩沢通有の証言によれば通有は正十郎の父公之の死亡後、後見人に就職する以前においても正十郎のため、叔父として事実上後見の立場で正十郎の財産の管理や整理に当つていたものであつてこのことについては何人も異存のなかつたことが推認されるところ、右認定のとおり右売買契約を被控訴人と締結して間もない翌年には正十郎の後見人に就職したものであるから、右売買契約においては正十郎の無権代理人であつた通有が正当な法定代理人の資格を取得し、無権代理人と後見人との資格が同一人に帰属するに至つた。それ故、被控訴人と無権代理人通有間の右建物売買契約において通有は後見人自ら売買契約をなしたと同様の法律上の地位を生じたものと解するのが相当であり、右売買契約をなすにつき通有と正十郎との間に利益相反の事実もこれを認めるに足る証拠はないから、後見人就職後追認の事実がなくても、右売買は通有の後見人就職と共に正十郎のため効力を生じたものと解すべきである。

そして原審および当審における被控訴人本人尋問の結果、同じく各検証の結果によると、被控訴人は増、改築前の別紙目録(一)、(二)記載の建物(当時十数坪)を買い受けて昭和二六年二月頃から占有使用し、翌年卸を三間にわたつて三尺幅つき出し、その後、裏側に一坪の勝手場、その隣に便所を増設し、北東に三尺に六尺の押入、その北に六尺四方の物置を造り、片屋根造りの屋根裏を利用して五畳敷位の部屋を附加する等順次増、改築し昭和三〇年頃には現在(別紙図面記載のとおり)のようになつたことが認められ、原審証人富田嘉和、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果、成立に争のない乙第一号証、同第三号証、同第二号証、同第六号証によると、右のように増改築した建物のうち被控訴人は増築部分を昭和三四年四月二二日自己の名義で保存登記手続をなした結果別紙目録(二)記載のように登記され、その余の部分は現在もなお正十郎名義で同目録(一)のとおり登記(家屋台帳にも同様登載)されたままであることが認められる。

しかして右認定の事実と原審および当審における検証の結果によれば、別紙目録(二)記載の建物は、独立建物のように登記はされているが、実況は同目録(一)記載の建物に順次付加されて一体をなし、右建物の一部として分離できない関係にあり、独立の建物とは認め難いので、右(一)(二)記載の建物はあわせて一個の建物(従つて、(二)の保存登記は実体にそわないもの)と認めざるを得ない。

なお控訴人はその所有であると主張し明渡を求める建物を別紙目録(一)(二)記載のように表示しているが、前示のとおり増改築によつて変つた現況別紙図面のとおりの建物を指すものと認められる。

以上の認定によれば控訴人が正十郎より代物弁済により譲り受けた建物と被控訴人が前記のようにして正十郎代理人塩沢通有から買受けた建物とは同一建物であつて、正十郎は控訴人および被控訴人に対して同一建物を二重に譲渡したものということができる。

そして控訴人はその譲り受けた建物につき所有権移転の登記を経由していないことはその主張自体からも明らかであり、被控訴人もまた所有権移転の登記を経由していない関係にあるから、控訴人は被控訴人に対して代物弁済予約完結による所有権移転の効果を互いに対抗することができないものといわなければならない。

以上説示のとおりであるから控訴人が別紙目録(一)、(二)記載の建物(但し現況別紙図面のとおり)の所有権を主張して被控訴人にその明渡と不法占有による損害賠償を求める本訴請求は理由なく失当であるから、理由は異るが右と結論を同じくする原判決は結局相当であり本件控訴は棄却を免れない。

よつて民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条により主文のとおり判決する。

(別紙)

目録

(一) 甲府市寿町三三番

家屋番号同町三三番

一、木造瓦葺平家建居宅一棟

建坪  一三坪(四二・九七平方米)

木造スレート葺平家建居宅一棟

建坪  一五坪(四二・五八平方米)

のうち

木造スレート葺平家建居宅一棟

建坪  一五坪(四九・五八平方米)

(二) 同所同番

一、木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建居宅一棟

建坪二二坪一合六勺のうち

家屋番号同町三三番の五

木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建北側居宅

建坪三坪四合一勺(一一・三六平方米)

外二階三坪七合五勺(一二・三八平方米)

但し別紙図面黒線内の部分

〈省略〉

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